正しいイスラムほど攻撃的なのかも
「純粋なイスラム教徒は平和的」、「正しいイスラム教徒は寛容」、「イスラムは異教徒や女性の権利も尊重する」みたいな話よく聞きませんか?
でも、イスラム国のイスラム教徒は虐殺もレイプも大好きじゃないですか。本当はどっちなんですかね?
平和的で寛容で異教徒や女性の権利を尊重するイスラム教徒も居ると思います。なにしろイスラム教徒は15億人。首狩り族みたいな人から平和的な人までいろんな人がいるでしょう。
ただ、イスラム教徒は「アッラーの他に神はなし」と「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と、一日5回もメッカの方向に向けてお祈りするわけで、アッラーの預言者であるムハンマドがどう言ったか書かれている聖典クルアーンや発言集ハディースを見れば本当はどうなのかを判断するヒントがあるかもしれません。
で、素人なりに色々見て見たので書いてみます。解釈違いもあると思いますがご了承ください。
まず、イスラム教徒にとって殺人はどうなのでしょうか?
クルアーンにはこう書かれています。
「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである。」クルアーン5章32節
「また、アッラーが神聖化された生命を,法と正義のため以外には殺害してはならない。このようにかれは命じられた。恐らくあなたがたは理解するであろう。」 クルアーン6章151節
無実の人間を殺すのは良くないと書いてあるみたいですねぇ。
また、こんな文章もあるようです。
「戦いにおいてもあなた方と戦っているわけではない子供や女性、そして年老いた者たちに危害を加えてはならない。」2章190節
また、ハディースには、僧侶や、敵に所属する動物を殺害することも禁じられるとあるようです。
イスラエルの女性兵士と戦闘になったらどうなるんでしょうね。
以下イスラエル国防軍兵士の写真ですがこんな感じの。
Krav Maga - Israeli Krav International
下のリンクの写真はセクシー過ぎるので20歳以下は踏んじゃダメです。
http://blurbrain.com/wp-content/uploads/2013/06/IDF-Hotties-1.png
こんなんじゃ殺す前にこっちが萌え死にしそうですが。IDFは男女ともに徴兵制なのでどんな華奢な美人も一度は軍に入るのです。
脱線失礼しました!
ま、それでもこれだけ見るとそんなに暴力的な教えでもなさそうですね。
しかし、これには条件がありまして
「彼らに会えば、どこでもこれを殺害せよ。汝らを追放したところから、彼らを追放せよ。まことに迫害は殺害より、もっと悪いのである。ただしメッカの聖殿の近くでは、彼らが戦わない限り、戦ってはならぬ。もし、戦うならばこれを殺害せよ。これは不信心者への応報である。」クルアーン2章190~191
「迫害は殺害より悪い」ので、迫害された場合は、殺害もOKということでしょうか。これこそが聖戦思想を支える所に思えます。
パレスチナにユダヤ教の国であるイスラエルを作り、エルサレムを奪われたことや、100年ほど前のサイクスピコ協定で、中東は連合国に勝手に不自然な国境線を引かれてイスラム社会であるオスマン帝国が分割されてしまったことを迫害と呼ぶなら確かにそうかも。
だから、西側の人間は敵であり、ムスリムを迫害していますから殺したり奴隷にしてもいいということでしょう。
でも実際には、イスラム国が殺している人の大部分はシリアやイラクの人なのでほとんどはムスリム。
比率はシーア派も多いのでしょうが、クルドなどスンニ派だって大勢殺しているでしょう。
ここの所はなかなか正当化しにくいのではないかと思えますが、イスラム法では異教徒以上に、背教者、棄教者は悪いとされているようで、殺してもいいというか殺さないといけないらしいです。
だからイスラム国以外のムスリムは全員死刑なのだという解釈でしょうか。
そして、イスラム法では、戦闘員と非戦闘員の区別はないようなので、敵国の民間人だって兵隊と同じ扱いですから、ジャーナリストだろうとNGO職員だろうと殺して構わないということになります。
イスラム法とりあえず色々気軽に殺し過ぎに思えます。
イスラムの場合、信仰体系だけでなく、民法や刑法が聖典に含まれていますから特殊ですが、殺しを命ずる聖典ってのはあまりない気がします。
キリスト教の場合「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイによる福音書 5章39節) みたいに仕返しの連鎖をいさめる文言もあるのですが、イスラム教は基本やられたらやり返せということになっています。
ムハンマドが率いていたころのイスラム共同体はず~っと戦争していましたから、そのムハンマドの発言集である聖典が平和的な方がむしろおかしいとも思います。
そう考えると敵に対して攻撃的なのも当然でしょうか。
まあこういう感じの話は色々ありまして、「イスラムは女性の権利を認めている、例えば相続の権利とか」と言われますが、まあ確かにその通りです。
しかし、イスラム法によると、女性が相続できるのは男性の半分ってのがその権利です。
120年前ほど日本の明治憲法でも、男の子供がいる場合財産は全て長男が相続し、妻や女の子は相続できなかったことを考えると、1500年前に男性の半分の権利が認められてたというのはなかなかに思えます。
しかし、イスラム教としてはムハンマドが最高にして最後の預言者なので、もうクルアーンもハディースもアップデートの余地はありません。このため、イスラム法が男女平等になることはたぶん永遠にありません。
「イスラムは他の宗教と平和的に共存してきた寛容な宗教」と言われますが、まあ確かにその通り共存していたこともあります。
しかし、その共存というのは、他教徒をズィンミーとしてイスラムに隷属させることです。この寛容というのは異教徒を殺さなかった、強制改宗させなかったという意味での寛容です。殺さなきゃ寛容って基準おかしい気が...
ズィンミーはイスラム教徒より余計に税金を取られ、宗教施設を作ることも制限され、信教を公言すると罪になる状態で半奴隷状態での平和的な共存だったようです。
更に、ズィンミーになれるのは、アブラハムを共通して預言者とするセム系宗教3兄弟のユダヤ教とキリスト教だけで、仏教や神道を含む多神教徒と平和的に共存してきたことはあまりないんじゃないかなぁ。
パキスタンとインドも平和的に共存は無理だったわけで。
イスラム国もヤジディ教徒は殺したり奴隷(含む性奴隷)にしたりしてましたし。
イスラム共同体の内部における倫理は、女性差別や幼児婚、残虐な刑罰などの問題はありますが、現代の倫理観と共有できる部分もなくはないように思えます。
しかし、平和的なユダヤ教徒、キリスト教徒に対しては「生かしてやっている」位の意識に感じます。これをイスラム教徒は寛容と言っているのでしょう。
「純粋な正しいイスラム教徒=聖典やイスラム法に忠実」とすれば、純粋なイスラム教徒はイスラム国だったりワッハービストということになるので、それほど平和的でも寛容でもないような。
キリスト教にも原理主義はあって、というかアメリカ南部にはたくさんいるようですが、こちらも中絶をする産科医を撃ったりしているのでどっちもどっちとはいえ、組織的な無差別テロはやらないので、イスラム原理主義ほどの攻撃性はないと思います。
むしろ「不純なイスラム教徒=世俗派」とすれば、そちらの方がずっと平和的で寛容なんじゃないでしょうか。政教分離の憲法を持つトルコなど、イランのような祭政一致を理想とするイスラム的には不純の極みですが、そっちのほうがまだほんの少し寛容で平和的な気がします。
結局は、現代の国際法や自由・平等などのポリティカルコレクトネスとイスラム法は折り合えないので、このどちらを優先するかという話ですね。
大部分のイスラム教徒は殺人もしないし奴隷も持たないというのは本当だと思います。しかし、1500年前に出来たものなので仕方ない面もあるとはいえ、イスラムの教え自体はそんなに平和的で寛容で公平でもないようにも感じます。
むしろ戦う宗教という印象です。
少なくとも男女差別はガチですし、聖典にアップデートの余地はないので世界にイスラム教のある限り差別は消えませんぜ。
ではなぜ、平和を愛する人がイスラム教徒になったのかが不思議ですが、
驚くことに、親がイスラム教徒の場合、子供は自動的にイスラム教徒とイスラム法で決まっています。そして、イスラム教徒はイスラム教の信仰をやめると死刑と決まっています。
イスラムと信教の自由とはどうやっても折り合えないのがご理解いただけるかと思います。
イスラム教徒本人の意思は関係ないので、気の毒なところもありますね。
gettoblaster.hatenablog.comhttp://gettoblaster.hatenablog.com/entry/2014/12/30/113843